ジョセフ・彦(浜田彦蔵)
の墓
嘉永4年に紀伊半島大王岬沖で難破。アメリカ商船オークランド号に助けられ9年間アメリカにて過す。
帰国後は領事館通訳、貿易商、新聞社などをし、元治元年には日本初の新聞となる「海外新聞」を発行し新聞の父と呼ばれる。
明治30年12月12日死去。墓石には洗礼名である「浄世夫彦」が刻まれる。
住所 東京都港区南青山2丁目32-2 青山霊園外人墓地 南1種イ4
ジョセフ・彦(浜田彦蔵)の墓
ジョセフ・彦(浜田彦蔵)の墓